2020年4月26日日曜日

ミニレクチャーづくり

AshfordさんのところのAerowaveが始まったので、昼夜が逆転しかける週末。静岡のくものうえの演劇祭や溝端さんのところの国際ダンス映像祭などとりあえずダンスと演劇に事欠かないゴールデンウィークがスタート。

そんな中私は体操レクチャー音声(?)の依頼が来て、考えた末、ラジオ体操に手を出す。驚くべきラジオ体操の世界。なんとラジオ体操にコンクールがあると言う。思えば教員養成系だとラジオ体操は必須。(試験にラジオ体操を課すところが多い)正しいラジオ体操を解説してみる。実はこの動きは踵をあげるけれど、これはあげちゃいけないとか、これは指先を伸ばさないとか色々細かい。そしてそれらが否定系の言葉掛けが多いことにも気がつく。

一方でラジオ体操のあの言葉かけをそのまま行うとあの運動にはならないのではないか?と言う疑惑が。つまり私は踊子なので踊子としては真面目に、言葉通りにやってみる、踊ってみることでラジオ体操教育が作っているものが出てくるのではないかと、音声レクチャーの依頼なのにおまけ映像も作ることに急にして、勝手に一人で録音録画。原っぱで一人さみしくラジオ体操。でもコロナでもお家でできるからいいよね。よいこのみんなは真似しちゃダメだよ。

体操は身体を規律に当てはめて運動をこなすようにしていくところに力点がある。ダンスは、そこに疑問を持って違う解釈を生み出していく創造的な活動だと私は信じている。創造は人ととも行うことができるけれど、本来個々人でできる活動だ。持ち寄って比べたら違う、だから面白いし新しい発見がある。だとすると、作る過程は一人でできる。
できないではなく、何かはできる。
全てが自由にできる状態の時にはだいたいできなくて、制限があることで、できるようになることが多数ある。箱女のロッカーのように。
時々大学時代を思い出す。大学の時だけではなく、できなかったり下手で色々迷惑をかけてすごく辛かったことを思い出す。でもある種アカデミックな規律にはまれなかったからこそ、自分の見方がおかしいらしいと言うことに気がついた。それはそれでちゃんと意味があることだったのだろう。
それであればできなかった子としては「正しい」に疑問を持ち、できることを見つけていこう。

とりあえずリアル先生としても毎日パワーポイントづくりとそれに音声入れる作業とが続いていて、結構大変。

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