2020年4月10日金曜日

身体の話

この数日のコロナ問題で明らかにパソコンやスマホを見る回数が増えています。そして映像と向き合う時間も増え、会議システムや劇場公演の無料配信など飽きさせない工夫がなされています。今それの凄まじいのが大学のオンライン化で、大学の先生方がそれに順応しようとすごい勢いで情報共有や教材づくりを行なっています。(よその学校の先生方がすごいので、それに圧倒されていますが、鳥取大学はちょっとのんびりしていて、不安になります)
私はこれはこれでちゃんとしなきゃと思っているのですが、そして一応パソコンにも結構慣れている方(普通の教員と比べると)なのですが、ここしばらくは体調が良くないなと思っていました。身体を動かす時間が減っているからかもと思い、自転車通学に戻し(盗まれてしばらくバスなどで暮らしていた)少し回復しました。また、ここしばらくFacebookなどを見過ぎないようにパソコンを見ない生活(とはいえ仕事はある)へと切り替え、外時間を増やすようにしています。
ヨーロッパのように外出禁止令が出されてしまうとどうしようもないですが。おそらくパソコンとの生活はできるけれど、身体的にはあまり良くなさそうという感触です。

ダンスのベースになるテクニックのうち身体の中の声を聞こうとするタイプのもの(ヨガやフェルデンクライスBMCなど)や、自然とのつながりを重視するもの(太極拳とか気功とか)の人たちにとっては辛い状況だろうとも思います。
もちろんそれでも今できることをしないととか経済的な問題もあってオンラインクラスなども開催されていますが、それはあくまで保全策で、同じ空間に身を置くことや身体を拓き身を預ける感触みたいなものとは全く異なるものになってしまいます。そうした時に元々クラスを受けていた人は自分の感覚で自分で掘り起こしていくことができるのですが、そのベースになる感触を伝えるのは難しいと思っています。(伝えようがない)また教えてもらって覚える形の講義になってしまって、自発的な学び(講座を受けようというのは自発だが、受けようという時点で受動的なのです)にはならなくなります。これではテレビ体操(ラジオ体操の映像付きのものみたいなの)と差はなくなってしまう。
本来学びにおいて特に身体系についてはその人の感じ方、考え方が大事なのですが、教員の枠の範囲に収まってしまうような閉じた学びになってしまうだろう予感はあります。

これはゲームで言ってみれば、ゲームとはプログラマーの作った枠組みの中でいかに楽しめるかというものです。例えばオンライン玉入れでもルールがあってフィールドがあってある種のフォーマットを用意する(ハッカソン)は創造的ですが、そこに参加するプレイヤーはただする側になります。先日のハッカソンも一緒にやらないとつまらないというのはそのせいです。この受動的な参加者の方がはるかに楽だし、それだけで娯楽かもしれませんが、そこは本質ではないです。ハッカソン中に試行錯誤していく過程の方が大事で、実際に出来上がるものはおまけに過ぎません。(ちなみにこの前見ていて目つぶりバランスとかかくれんぼとかなんらかの身体の行動や運動があるものの方が楽しいと私は思いました。)

身体に関するワークショップは様々な気づきを各自が行なっていくもので、掘れる人には掘れるし掘れない人には掘れないし、でもあらかじめこうですという講座で学ぶようなものではない。が、なんとなくわかった感を出すために講座化してしまう。そこがこのオンライン講座の連続で感じはじめたところです。

現在の体育で要求される身体はオンライン講座でもできるのかもしれません。でも身体知覚系、自然との繋がり系の人たちの目指すのは動物としてまた自然物としての身体という感じでしょうか。ダンスも自分で構築し、上手くなろうとし始めると、この動物としての感性は衰える傾向があって、「自分」というものの存在(自我なのだろうか)を消失させながら、出来るだけ風通しの良い身体を作っていくことが大事なのではないかと考えている今日この頃です。自然や様々なものに動かされてしまう自分を楽しむというか。ちゃんと受け取る感覚を持つというか。なんとなく、自分が受けてきたダンス教育と学校の現場と学生さんたちも求めるダンスとのズレ感も素行にあるのではないかと捉えています。

いろんな身体の動かし方で遊ぶけれどあくまでパソコンも、VRも素材に過ぎず、大切なことは、想像の誰かが構築したものに入ることではなく、自分の身体を用いて考えることです。頭ではなく身体で感じてることがたくさんあるはずだけれど、いろんなことに鈍感になっているのではないかという予感がしています。

おそらく今後も技術はどんどん向上し、ドラえもんのような世界がリアルにくると思います。そしてその最先端みたいなところに未来の運動会の試みはあると思っています。アバターやゲーム空間、VRなどどんどん可能性は広がることでしょう。でも身体から離れてはいけないのではないかと思ってます。

0 件のコメント:

コメントを投稿