2020年4月12日日曜日

ノンダンスという言葉

ここしばらくは勉強しなさい期間だろうと越智雄磨さんの「コンテンポラリーダンスの現在ーノンダンス以降の地平」を読む。(ついこの4月に発行されたばかり)ちなみに石井さんの新刊や映像で学ぶ舞踊学などまとめて読み続けています。

この本を読んで、当たり前のことと言えばそうなのですが、私が「札幌市中央区南6条西26丁目」「かめりあ」「からたち」「からたちから」で作ってきたものたちというのは明らかにこの系譜にあるのだなと思うのでした。
ジェロームベルはジェロームベルをCDLで見てる他、ロンドンSadler’s で特集を組んでくれたこともありほとんど見ていたし、ルロワさんも見ているけれど、シャルマッツの三段コンテナも見てて、わかるわかるって思う自分がいます。
つまり自分はラッセルカンパニーにもいたし、一応「作者のダンス」の枠組みにはいたのだけれど、違和感を感じてきました。それはお茶大時代からのコンプレックスや山崎広太さんのところを出された時から、上手くないし、上手くなりたいというわけでもない自分との戦いでもありました。今できることを考えて生まれた自己紹介のダンスに高校時代からの演劇の要素が入り、話すことが入ったり、あくまで当事者としての自身の経験に基づいた形でしか作品を作らなくなったこと、既存のダンスのテクニックをほとんど使わなくなったことなどが共通と言えます。
特にルロワの最初期作品(私はこれを見ていません)の「諸状況の産物」は分子力学者である自身がなぜ振付家となったのかを語り踊る作品で、私の「ダンスハ体育ナリ?」が私が保健体育教師でダンサーで、なぜそうなってしまったのだろう?という疑問を投げかけることに近いです。
振付家もダンサーもそして観客も等しく人であり、同じ立場でつまり観客にもある種の参加を促していくという流れは意識していて、小学生と高齢者のリコーダーグループや、教会の合唱団さんに参加していただいたり、観客へのサジェッションがあったりということも試みていましたが、ダンスハ体育ナリになり、より距離感は近くなりました。
そして振り付けというものの意味が喪失する方向性へと向かい生まれたのが鳥取夏至祭で、枠組みを作り、皆が遊ぶところまでを目指しています。(その代わり自分という振付家としての存在は消えていくんだなということも実感として感じてきました)

今回越智さんが挙げているバルト、ランシエール、ブリオーを読んで、(なんとランシエール読んだのはついこの前だ!)この観客との関係性は寺山や様々な演劇人が戦ってきたことにもつながるが、なぜか今忘れ去られているところへダンスや現代美術がアプローチしようとしているように思われた。演劇は政治運動と結びつく傾向があり、その時代の世相を映し出すけれど、その演劇をしてできなかった部分に言葉を超えて(でも言葉も使って)やろうとしている。
パフォーマンスを遂行するというその感覚。
感で動いているとは言え、その感は間違っていなかったのだと思って少しうれしい。思えば同年代なんですね。(それにしては私、、、)

日本国内でもこのようなノンダンスと呼ばれる動きがなかったわけではありません。私がダンコレで受賞した当時のマトロンさん(城戸晃一、2003年フランス大使館賞)はスクリーンから出てこない、映像と影のみで作品が展開しており、ちょっと素敵な作品です(「箱女」を手伝ってくれたので命の恩人です)。康本雅子さんはラボ20でお会いしていてちゃぶ台にごんっと頭をぶつけていたし、ボクデスさんはカニを振り回していました。しかし、そこに哲学が足りなかったのかもと思います。定着しきらなかった。とりあえずここ何年か見ていてこの路線で思いつくのは山下残さんと捻子ぴじんさんくらいです。川口隆夫さんの他者の手もかな。他にもいるかもしれないけれど。
それは魅せるもの(見せるもの)としてのエンターテイメント性を重視したダンコレの審査員の傾向かもしれないし、日本の独自性かもしれない。
何れにしてもちょっと特殊な形であったと思います。
イギリスもダンス学校がたくさんあるものの、ラバンの影響からか、比較的フィジカルな作品が多くジェロームベルは驚きで迎えられたことを覚えています。今は違うかもしれない。でもノンダンスの方向にはいききらなかった。

これは国としてフランスがとってきた制度との関係性もあるでしょう。
この本の第2章で支援政策、文化政策について述べられており、振付家たちが戦い、そして勝ち取ってきた権利であり、それがノンダンスへと拡張されていったことがわかります。日本で、このような意識を持って戦う人たちは少なくとも私たちの前の世代まででは日本にはいなかった。
今、この状況では難しいかもしれないけれど、それでも、そういう視点を持っていくことは必要かもしれないと思うのです。
イギリスのカンパニー時代もフランスに養ってもらっていた(フランスツアーの方がお金になるんです。イギリスのツアーは赤字になるのが基本。。)身として、将来的に日本がどのような文化政策をもっていくのかは見ていきたいと思っています。

また、ベルもルロワも初期の作品(今はちゃんとサポートを受けています)は全くのサポートを受けずに作り、リスクを最小限にして上演を行っていたことは若いアーティストに励みとなるのではないかと思います。私のレクチャーパフォーマンスもですが、予算はメルカリで買った学ラン1500円くらいです。(実際に都内で上演する場合は交通費などがかかりそれなりの経費がかかっていますが)お金がない、場所がない、だったら何ができるのか。制限は実は発明の母であるとも思います。今の時代だからこそできることはあるはずです。今の時代の感覚を切り取るのであれば今の環境で作られていくべき。

多くのプロダクション、ミュージカル、バレエ、オペラが無料上映を行なっています。そしてその贅沢さに唖然、ほうっとするところも多々あります。華やかな舞台芸術の世界、夢を与えるお仕事。そういう価値観もありますが、そればかりではない。
今の時代を作るということは流行を作り出すということだけではないんです。

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