鳥取銀河鉄道祭のできるまで33
2018年12月東部地区事業の間に取材を受けたとりアート通信がNo18として配信されました。とりアート広報部会が発行しているもので、とりぎん文化会館などで配布されています。
野村さん、吉野さんとなぜか表紙を飾ってしまった木野、野口。エセ門限ズなどと呼ばれてしまいます。(大きな誤解です。)
ただこの時示した門限ズと鳥取の人々の半々の作品という点では当たっていて、この作品は門限ズの作品ではなく鳥取の人のための鳥取の人による作品なんです。
この時中面の絵を担当してくれているのが八代さん(とりアート広報部会)。鳥取でイラストレーターとしても活動しています。コンセプトなどをお話ししながらこんな絵を描いてくださいました。
街の灯りは人々の生活の証、それらがキラキラと輝いている。まるで星座のように。
夜空の星は川面に映り込む。私たちの生きている世界の別世界であり、しかしそれは現実世界と等しく存在している。銀河鉄道はその川辺(天の川の脇)を走り抜け、様々な人々や星座に出会う。三途の川と言いますが、それを乗り越えて旅たつカンパネルラと現実世界へと戻るジョバンニの差はなんだったのかといえば、ほとんど差はないのです。私がカンパネルラでも、私がジョバンニでもおかしくはない。それはあなたも同じ。全ての人がジョバンニであり、カンパネルラなんです。そんな話をして描いていただきました。素敵な絵だと思います。ありがとうございました。
この絵を描いていただくことが決まり、木野のところへインタビューに来てくれたのは夏前の話。時間はかかりましたが、その分良いものができたのだと思います。
個人的にはカンパネルラ父がかなり冷静に諦める姿を読み、気にかけています。一般的には動揺するだろうところで冷静に、そしてジョバンニを思いやって言葉をかける。彼はカンパネルラの行った先を知っていて、さらにその世界は現実世界と変わらず存在しているということに気がついている。この世もあの世も表と裏。大きな違いはないのです。
ただ、賢治さん自身はそこまで割り切れていないこともあって、何回も改稿を重ねてきました。ブルカニロ博士が世界の真理を教えてくれる稿はジョバンニは現実に引き戻されたかのような結論になっています。自分の意思とは関係なく。またその稿ではカンパネルラの父も出てこないし、現実世界でのカンパネルラの死については触れられていません。長い時間をかけて変化を続けていった。このような一生をかけての推敲があっての結論だと思うと大人になってだからこそ読んで欲しい話だと思うのです。
これを機会にちょっとでも読んでみようかなという方、tottoの連載もよろしくお願いします。
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