2019年10月3日木曜日

鳥取銀河鉄道祭のできるまで12

鳥取銀河鉄道祭のできるまで12

2017年つまり鳥取に来て1年が経ち「鳥取夏至祭」を立ち上げることにする。
私の行なっているダンスはコンテンポラリーダンスというジャンルだが、振付家、ダンサーの考え方により多様な表現があることを知ってもらうにはどうするかと考えた。
作り込んだ作品の良さはわかるが、まずはいろんな友人たちにこの鳥取に来てもらい、鳥取でできることを一緒に考えてもらおうと思い、即興に特化したフェスティバルとした。
即興であればお客さんの反応を受けて反応をするなどの交流も生まれる。(実際にさなりさんがスーパー前でおばちゃんにコーラを差し出されたりする)
https://tottori-geshisai.jimdo.com/鳥取夏至祭2017ホーム/report-2017/

基本的に芸能者は河原乞食という考え方なので、お金はないなりに細々と作品づくりをしてきた。私の考えていることを形にする、手伝ってくれたりみにきた人がいいものを見たと納得できる、経済的に自立する。現在は大学仕事として文化庁の助成金を分配(自分のところには入らない)したり、県の事業を引き受けているけれども、私が本当にやりたかったのは純粋に継続できる活動で、おそらく一番自由度が高いのはセミプロフェッショナルであろうと考える。そしてそこに必要なのは同じように活動している仲間だろう。大学仕事で稼げてしまった(子供や家族を持たない身としては十分過ぎた)お金をこの資金に当て、場所を持ち、表現活動をし続ける人たちのネットワークが作れるようにと始めた。
仕事にぶら下がらず、いきていけるように。

今問題になっている助成金の話はすごくよくわかる。とりアート、文化庁事業何れにしても、もらったものをきちんと形化し、実績を作らねばならないし、そのことが未来を作る。
一方で私自身が本当にやってみなければいけない試みは、小さいトライアルを繰り返しながら、開拓しながらずっと続けていくだろう。自分のために。(この小さな一言を発していくことが実は社会全体のためにも役立っていくのだけれど、)それを行うための枠組みを作った。

鳥取のまちなかの空きビルどうするんだろう?そこで何かできないかな。素朴な発想は現在の美術部にも通じていて、しかし私一人では絶対見つけ出せないような物件を見つけ出すブレーンが出てきたことが3年目の良さだと思う。一方で、鳥取の人は「即興のダンスなんて訳のわからないもの」はいらないのだなということも感じる。それがとりアートの委員の人たちの「わからないものは客が来ないし、評価できない」の言葉と重なる。

ちなみに初年度拠点にしていたヤマネデンキさんはoffice24というおしゃれワーキングスペースにリノベーションされ、まちなかの景色も少しずつ変わりつつあります。



芸術活動はある種物事の新しい価値観を作る革命のような行為で、ものの見方を切り返すことでもある。答えがあるものしか作ってはいけない、成功しか認めない、そんな価値観の中では何ものも生まれない。


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