鳥取銀河鉄道祭のできるまで72
この時期に合わせて「福祉とアート」と名付けられ、鳥取の中心市街地(中心とはどこか問題があり多々指摘されている)のアーケードにアートスペースからふるさんの絵が並んでいます。
一番大きなフラッグは大丸前に。これは街中でアートを展開しようという市の事業。(アートスペースからふるさんが協力しています)でもみなさん知っていましたか?
こういう事業の多くが見えていない、知られていないというのがすごく残念と思うのでした。まだまだ開催中ですので、ぜひ見てください。個人的には美術部室前のブロッコリーがツボです。
鳥たちの家など様々な場所を用いて障がい者アートを扱う展示を展開するというこの企画。鳥取銀河鉄道祭にきたついでに覗いていってください。(元々銀鉄ついでに鳥の劇場、鳥取JAZZにはしごする人がいましたが、はしごがさらに増えますね、時間には余裕を持ってお越しください。)
なぜかこのカオスの状況の中、トークを依頼され(これはタンポポの家からの依頼でした。地域学入門でお会いしたせいでしょうか)、10日のトークに参加することになりました。元々のテーマは大学の社会貢献についてということだったのですが、鳥取銀河鉄道祭があり、こりゃ、その話するしかないよねということで、お話しさせていただきます。ご興味ある方是非どうぞ。(間に合うのか?疑惑はありますけれども)
この依頼が来た時に、障がい者アートという言い方が私はあまりしっくり来ていなく、今私がやっているのは、障がい者も、健常者も関係ないんだという話をしました。年齢性別国籍を超えて、でもなんかできるよねというそういうことを行なっている。でもぜひということなので、その辺りについて話すことになるでしょう。
なぜ、オリ、パラか。
おそらく義足であってもオリンピックに出られる選手が生まれてくるでしょう。そうした時に線引きできるのでしょうか。
そして知的障がいはパラリンピックには含まれていません。その差は何か。
そして何を目指すのか。
私の大学院の先輩はそのずれを研究していました。
知的障がいの方を含むオリンピック的なものはありますが、その報道はほとんどなされていません。それはなぜか。どこかで知的障がいを特別視しているのではないか。
障がいとは何か。
団長さんを見ながら思うのは、健常とされている普通の人の意識の問題。
受け取る意思を持って接するか、排除するか。
障がいを生み出しているのは実際の障害ではなく社会、そして一人一人の視点です。
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