鳥取銀河鉄道祭のできるまで34
2018年はこのように様々な人を巻き込むためのワークショップとリサーチ事業を続けてきました。また、各地区事業と連動するための活動でもありました。それらは小さい活動のようですが、確実に人につながり、人と出会う場でもありました。
しかしながらそうこうしているときに来年度の予算が大幅に削減されるという事件が起きます。とりアートは3年計画で進行していくもので、3年計画を提出し、公募で選出してもらい、進行していたのですが、県の予算の縮小に合わせ、監査が入ることになって、認められなくなりましたと、突然宣告を受けます。
確かに契約書などは単年度契約という形になっているのですが、公募の段階で提示されており、それを払えないよというのはまるで後出しジャンケンのようなもの。私たちが行ってきた今年の内容が悪かったということではないとフォローされても、だからこそ余計に納得がいかないし、これまでのとりアートに対する判断を私たちに出されても困ったことになります。
同僚の文化政策専門家によればこういうことはよくあるのだそう。
それゆえとりアートの規模はともかく、もう少し大きな規模の公共事業の多くを電通などの大きな企業が受けて他の事業でフォローするなどをやっていかなければできないとのこと。
そもそもとりアートのメイン事業レベルでもこれだけ大きな変更が起きており、1個人や1市民団体ができるような状況ではありません。
今回、この突然の変更は、私たちを始め、関係者に大きな打撃を与えました。
門限ズのアートマネジメント専門家吉野さんのアドバイスを受けつつ予算を書き直し、また文化政策課、財団とどうしたらいいんだろうと話しあい、何度も会議がありました。
公共事業として行う以上、評価は必要であり、また様々な視点で論議されるべきだと思います。しかしながら芸術文化事業の場合は単なる経済効率だけでは判断できないものがあります。
さらには今回の場合は私たちへの評価ではないところで切り捨てられる。
今、表現の自由に関連してあいちトリエンナーレの問題が話題になっていますが、芸術の公共性、芸術の評価について叩きつけられた感じがしました。
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